新しく「たずねびと」という物語文が国語の教科書に入ってきました。指導方法を教えてください。
はい、わかりました。「たずねびと」には、他の文学的教材にない平和学習要素があります。それを気にしつつ授業をしなければならないですね。解説します。
今回は、2020年の新教科書(光村図書5年)からの新しい教材「たずねびと」の指導方法。国語の文学的教材という以上に、平和学習につなげる教材だと考えます。
大人になったら、平和について考える機会が大きく減る中で、この教材の価値は高いと考えられます。この記事を読んで、よりよい授業の考察に役立てていただけると幸いです。
作者 朽木 祥(くつき しょう)さんとは?
広島市生まれ。被爆2世。
上智大学大学院博士前期課程修了。
作家。
2001年より創作を始める。
2006年『かはたれ』で児童文芸新人賞、日本児童文学者協会新人賞、産経児童出版文化賞。
その後『彼岸花はきつねのかんざし』で日本児童文芸家協会賞。
『風の靴』で産経児童出版文化賞大賞受賞。
ほかに戦争ものの著書として『八月の光』『光のうつしえ』がある。
「絵本ナビ」参照
今回採用されるまで、恥ずかしながら私もよく知らない方でしたが、教科書採択により有名になりました。
Twitterも積極的に更新され、2020年9月現在のフォローワーは1300人とこれから有名になっていく方と考えられます。
よく原爆や人権に関するツイート、空の写真をツイートされています。被爆2世として、これからも人類の財産とも言える貴重な話をして頂けることだと思われます。
数年後講演会でひっぱりだこでしょう。早めに依頼をしておくとよいですね。ちなみに、先日、直接連絡をいただきました。偉そうな文を書いており、申し訳なく思いました。気さくで懐の深いかたでした。
個人的な作品の感想ですが、私たち一般人が「わすれていたもの」や「意識されていないもの」に気づかせてくれるようなメッセージ性の強い作品を書かれています。
授業する前に、『八月の光』『光のうつしえ』は読まれておいて損はありません。
光村図書の教科書教材ではない学校も、どれか一編だけでも修学旅行で平和学習をする前に読ませる価値はあると考えます。いや、読み聞かせないといけないのかも知れません…。
声を殺して泣いた希未の母親。「希未」という名前。子ども達に気づいてほしいものが数えきれません。
読んでいくと、小頭児、入市被曝、被爆と被曝の違いなど大人が学ばないといけない内容もありそうです。
叱って送り出した息子が亡くなった母親、小さい児童の頭蓋骨に囲まれる若い先生の遺骨など、原爆当時の悲惨な様子が手に取るようにわかり、恐ろしさで震えるような感覚を覚えました。
平行読書はもちろんさせたいですし、ただひたすら何時間かかけて読んであげたいです。
15分を5回に分けて読んでみるのも良いですね。
学習を進める前に
この学習は、平和学習の一環として、重要な意味をもちます。長崎や広島等の戦争資料館に行く前後に学習するするべきだと私は考えています。
単なる国語教育として、人物の心情の変化をとらえるだけでは、いけません。
下の叙述は写真や動画等を見せながらさせたいです。屋外で実際にガラス瓶を燃やすなど実験してみるとさらに良いですね。
・ご飯が炭化した弁当箱
・くにゃりととけてしまったガラスびん
・八時十五分で止まったうで時計
・焼けただれた三輪車
・石段に残る人の形のかげ
原子爆弾の威力は、体験できないのでわかりません。しかし、私たちや子ども達の想像を膨らませることはできます。
二度と戦争を起こさず、核兵器を撲滅するためには、教育が重要な役割をもっています。そのためにも、これらのことはイメージさせておかないといけないですね。
国語の力をつけることと等しく、平和的教養を身に付けることは重要です。
学習の終わりには、「綾の心情が、自分の名前が書かれて不思議と思うことから、名前を忘れてはいけないに変わったことがわかった。」と子供たちに書かせるだけではなく、
「自分のような年の女の子が80年間も人々から忘れられていたことに驚きました。
さらに、80年間ずっとアヤの身よりを待っているおばあさんの涙に心を打たれました。絶対に核兵器は許せないし戦争を世界中からなくしたい。」
ぐらいの強い意志をもった考えを持たせたいです。
最初の場面から最後の場面にかけて、綾の心情が変わったのに気付いた。
綾の心情が変わっているのに気づき、戦争への怒りや悲しみの感情をもてた。
「山場はどこか」とか、「クライマックスはどこか」とか、「情景はどうか」よりも、平和を愛す人を育てることの方に力を入れて指導をしたい。作者の主題はそこにあると考えます。
「たずねびと」でつけたい力
「たずねびと」ではどんな力をつければよいのでしょうか。
教科書には次のように書かれています。
「物語の全体像をとらえ、考えたことを伝え合おう」
・行動や情景、心情を表す言葉に気を付けよう。
・登場人物の心情の変化や物語の全体像から、感じたことや考えたことを伝え合おう。
綾の心情は、おばあさんと出会うまで大きな変化が無いのですが、おばあさんとの関わりを受けて大きく変化します。
おばあさんの喜ぶ表情や、帰り道の描写から綾の心情の変化を読みとることができます。
淡々と語られる戦争の遺物の描写から、綾の心の奥底が変わっていくものをおばあさんとの話のときに引き出せたら良いですね。
気をつけなければならないのは、この学習は最後に自分の考えを述べる学習ですので、作文力がある程度ついていないとただの簡単な心情読み取りになり、大ゴケします。あらかじめ、文章がほどほどに書ける程度まで鍛えておきたいです。
初発の感想
作者を簡単に知った後は、実際に子ども達と作品を読みましょう。読む前に、物語は中心人物の心情が大きく変わるという点を振り返らせ、中心人物の何がどのように変わったのかを考えさせましょう。
などが出てくるでしょう。
しかし、これでは不十分だと自覚させます。物語の設定がよくわかっていない子やなぜおばあさんが目に涙を浮かべたのかをよくわかっていない子がいると想定されます。
また、最後の描写で寂しげな綾の様子からどんなことを考えているか想像を働かせたいものです。
国語というより、戦後の社会形成の担い手として、どんな思いをもつことが大切かの考えをもつことが重要ですが、ある程度の設定が、読解力の低い子でもわかるようにしていかなければなりません。
粗筋(内容の要約)
まず、粗筋をとらえさせましょう。
駅の構内の探し人のポスターを見ていた綾は、自分と同じ名前で同じ年齢の「楠アヤ」という文字を見かける。そのポスターは「原爆供養塔納骨名簿」。不思議な夢をみて、家族にポスターのことを話した後、兄と広島に行くことになった。広島の原爆資料館と追悼平和祈念館に行き記念館にはたくさんの写真があり、それらの人には家族や知り合いがいることに気づく。原爆供養塔納骨名簿のポスターのことを受付に尋ねると、塔のそばにいる被爆者のおばあさんに会うことを勧められる。同じ名前があったので会いに来たことを知らせると、おばあさんは供養塔のアヤさんに報告し、目に涙を浮かべながら喜んだ。その後、川土手で資料館の説明やおばあさんの話を思い出し、アヤさんや広島、世界のことを綾は考えた。
粗筋は、簡単にとらえることができます。1時間で全場面の確認はできそうです。評価の基準としては、下の太字の6点を参考にされると良いです。
この6点がとらえられていれば、ある程度読めていると考えられます。
設定の確認
時の設定
間違えなく言えるのは、戦争の後の時代。昭和、平成から令和にかけてです。
関係者を捜索していることや、被爆者のおばあさんが存命でいらっしゃるということは、大体その時代だと想像できます。
場の設定
綾はどこにいるのでしょうか。
本文中から、「広島県の隣の県で、在来線で数時間かけて、週末に子どもだけで行けるところ」とあります。その情報から、岡山県・山口県になりそうです。
駅のホームに5時に一人でいることから、習い事などで遅く帰っていることがわかります。そのくらい栄えた町であることも想像ができます。
人物の設定
綾はどんな人でしょう。心情の変化を読みとるには、設定を確認しておく必要があります。
すると、ポスターのちょうど真ん中あへんにあったのは、わたしの名前だった。「楠木アヤ」—―かっこの中には年れいも書いてあった。(十一さい)――年れいも同じ。
光村教科書より引用 以下略
普段、駅のポスターなど見ないものですが、綾の目には留まってしまいます。しかも、ポスターの真ん中に自身と同じ名前を見つけ、親近感を持ってしまいます。
「行こうよ。」とわたしはお兄ちゃんにせがんだ。
「せがむ」とは、「しつこくねだる」ということ。
思春期に差し掛かる女の子が望んでいるのは、服でも、スマホでもなく、文房具でもなく、広島市に行くことです。
今の時代の子どもにしては、不思議な雰囲気の子どもだと考えられます。
わたしは、知らない人に説明をすると、しどろもどろになる。
このときも相手は面食らった顔になった。
「しどろもどろ」・・・言葉の使い方や話の内容などが、とりとめなく、ひどく乱れたさま。
「面食らう」・・・・・突然のことに驚きとまどう。
ここの意味を調べないとこの一文の意味がよくわかりませんね。わからない言葉はすぐに調べる習慣をつけさせたいです。
これらをまとめると次のようになります。
・同年齢(12歳)近くの女の子
・いろんなものに興味をもつ(好奇心が旺盛)
・物事を真剣にとらえる(感傷にひたる)
・人と話す時には、しどろもどろになる不器用な子
特に特徴は無く、物静かな好奇心旺盛で不思議な子くらいの印象でまとまっていきます。
どのように心情が変化したか
実は、綾の心情はすごく読みとりやすいです。なぜならほとんどが本文に書いてあります。
このアヤちゃんには、何十年も前からだれも「心当たり」がないのだろうか。本当に不思議な気がした。
不思議に思った理由は後に書いてあります。
(夢の後)わたしは、もう一度ポスターを見にいくことに決めた。
せっかく忘れていたのに、夢のお告げがありもう一度ポスターを見ることになります。
この翌日の「放課後見に行った」とあるので、夢で目が覚めたのは、その前日の夜のようです。うたたねだったのでしょうね。
”紙があごをかすった感触がまだ残っているような気がした”とありますから、よほど本物に近い夢だったのでしょう。
(夢を見た次の日の晩)ただ「アヤちゃんのこと、どうして何十年もだれもさがしにこないのかな。」と不思議に思っていたことを聞いてみたのだ。
先ほどの不思議に思ったことがここで表れています。綾ちゃんを誰も探さない理由。
これは私の中ではしっくりきていないのですが、高学年だったら、綾ちゃんの親戚など周りの方が亡くなったというのはなんとなくわかることではないかと思います。
しかし、朽木さんがそれでも、この表現を使ったのは、おばあさんの思いをくみ取ってだと思われます。もう亡くなってしまって、見つからないのであれば、このポスターだって作られていません。
しかし、それでもなお掲示を続けるのは、おばあさんや関係の方々の執念に近い思いからだと思われます。
その思いが綾に届いたというのがこのシーンだと考えます。
もうだれも出てこないかも知れない。体もきつい。それでもなお、かすかな希望を頼りに発信し続けるのは心を打たれますね。
広島に行けば、きっとアヤちゃんを見つけられるような気がしたのは、どうしてだったのだろう。
これも、綾は後から考えたら不思議なことを自分でしたと考えているからこそ、この文になったのだと思われます。
綾は、どうしてかわからないけれど、アヤちゃんに会えるような気がした。自分の理性とは真逆のことをしてしまうのが物語の人物です。
―ここが爆心地なのか。ここで本当にたくさんの人が死んだの—。
爆心地と、死者数を考えながら読ませると良いですね。
資料館を半分も見て回らないうちに、わたしは、頭がくらくらしてきた。何もかも信じられないことばかりだった。
まだ、戦争のことをよく知らない、原爆のことをよく知らずに行っている設定ですので、この表現になっていると思われます。
「本当なんです。あなたは知らなかったの。」と問いかけてくるような気がした。
戦争の遺物が話しかけているように感じるという設定です。これには強い訴求感が出ています。
―たった一発の爆弾でこんなひどいことになるなんて。
一発の爆弾で、このようになってしまったと知っておきたいですね。また、「なんて」の後に続く言葉は何が良いか考えさせてても良いですね。
うちのめされるような気もちのまま、資料館を出た。
心情の表現がここでいっぱい出てきます。一つ一つを子どもたちに想像させてあげたいです。
打ちのめすというのは、もう立ち上がれないくらいに傷を負った状態ですから、その言葉を選んだ意味を理解させたいです。
とぎれなく現れ続ける顔をずうっと見つめていたら、気が遠くなりそうだった。でも、どうしても目がはなせなかった。
目を離した方が良いものあります。焼けただれた肌や、壊れた町。それでも、目が離せない。
ずっと見ておかなければならないと思っていたのでしょう。
子どもの言葉で言い換えれば、気もち悪いから見たくはないけれど、学ばないといけないものという認識でしょう。
(おばあさんとの話のあと)わたしは、はずかしくて下を向いてしまった。そんなことは考えたこともなかったからだ。
どうしてはずかしくなってしまったのか。と尋ねると、「そんなことは考えたことなかったから。」と子どもたちは応えるでしょう。「そんなことってどんなこと?」と尋ねると、前の文章のおばあさんの言葉に戻ります。
「この楠木アヤちゃんの夢やら希望やらが、あなたの夢や希望にもなって、かなうとええねえ。元気で長う生きて、幸せにおくらしなさいよ。」
楠木アヤちゃんの夢や希望などを想像し、自身に重ねさせると良いですね。「幼稚園の先生になりたかった。」「世界を平和にして、みんなが仲良く暮らせる世界を見たかった。」いろんな思いがあったでしょうね。
昼過ぎに、この橋をわたったときは、きれいな川はきれいな川でしかなかった。ポスターの名前が、ただの名前でしかなかったように。
勘のいい子は倒置表現に気が付くでしょう。本来ならば、”ポスターの名前が、ただの名前でしかなかったように、この橋をわたったときは、きれいな川はきれいな川でしかなかった。”という原文はなるはずです。しかし、順番を入れ替えたということは、後半を強調させたいということです。
つまり、綾の中で、川がただの川ではなくなった。また、ポスターの名前がただの名前ではなくなったということです。
川について、おばあさんの話の中に、”ここにさえ入れられんかった人、ようけいおりますが、あとかたものう焼かれたり川にながされていってしもうたり。数にも数えられん。”とあります。
亡くなった方々がたくさん流されていった川。名前が残っているのに、引き取りてがいない死者の名前。これらから考えられものがあるようです。
おばあさんが言っていたように、私たちがわすれないでいたら――楠木アヤちゃんが確かにこの世にいて、あの日までここで泣いたり笑ったりしていたこと、そして、ここでどんなおそろしいことがあったかということ――をずっとわすれないでいたら、世界中のだれも、二度と同じような目にあわないですむのかもしれない。
これは、後の名前をなぞるところの心情理解につながります。子ども達に綾の忘れない気持ちを想像させたいですね。
メモに書いた「楠木アヤ」という文字を、また指でなぞった。その名前に、祈念館でめぐりあった子どもたちの顔が、次から次へと重なった。
そして、夢で見失った名前にも、いくつもいくつものおもかげが重なって、わたしの心に浮うかび上がってきた。
指でなぞるというのはどういう心情か。名前に対して特別な感情をもっていると考えられます。
先ほどの行動描写にあったように、忘れされていく名前を忘れたくないという思いがあったのでしょう。
以上のことから、心情を追っていくと、次のようになります。
心情の変化の読み取りは、比較的難しくないと考えられます。1時間半程度で言動と心情をとらえられると思われます。
おばあさんの言葉の意味
「この楠木アヤちゃんの夢やら希望やらが、あなたの夢や希望にもなって、かなうとええねえ。元気で長う生きて、幸せにおくらしなさいよ。」
この言葉の意味がよくわからないという子どもがいることが考えられます。これは1時間かけて読み広げる価値があります。
楠木アヤちゃんの夢やら希望やら
楠木アヤちゃんの夢や希望とは何でしょうか。当時ですと、学校の先生になりたいとか、病院の看護師になりたいとかを思っていたのではないでしょうか。
希望とは、戦争がおわってほしいとか、好きな人と一緒にすごしたいとかがあったでしょう。
あなたの夢や希望にもなって、かなうといいねえ
あなたの夢や希望。これは読者自身の夢や希望を考えたいところです。
「夢とかない。」
「とりあえずお金がほしい。」
「ゲームをずっとしたい。」
「ふつうでいい。」
などと出てくるでしょう。そういうものと重ねてかんがえると、よりいっそう綾の「恥ずかしい。」という気持ちがわかってくるでしょう。
元気で長う生きて、幸せにおくらしなさいよ。
いろんな夢や希望をかなえられなかったアヤちゃんのことを考えさせることによって、命を大切に思ってほしいというおばあさんの願いを受け取れるかもしれません。
ここは綾の心情が大きく変わるところですので、丁寧に1時間かけてかんがえさせたいですね。
最後の場面の描写から心情を読みとる
ここに情景描写が書かれています。
なお、今回の学習指導要領から、高学年の学習内容として、登場人物の心情を描写から読み取るということが追記されています。
この情景描写は、中心人物のどんな気持ちからきているか話し合わせると良いですね。
本教材学習の話し合わせたいところはここになります。あやはここで何を考えていたのか。
謎が解決したはずなのに、なぜか浮かない様子。それはなぜ?
山場で、何が、どのように、どうして変わってしまったのか。
出来事の流れをおさえた後に、この場面の心情を自分と重ねながら書かせて、話し合いたいですね。
自身の考えを伝える
学習の最後に自分の考えを書きます。最後の活動に必要なのは、相手意識と目的意識と書き方です。
相手意識
書き伝える相手を決めましょう。地域の方。広島の方。保護者。全校児童。書く相手を決めなければ書く意欲が満たされません。必ず書く相手を決めましょう。
目的意識
この場合、戦争の恐ろしさを知り、平和のありがたさを伝えることでしょう。これを子供たちが、より多くの人に伝えることを意識して取り組むと良いものができてきます。
書き方
どのような形で伝えるのかを伝えましょう。全校朝会で発表形式で伝える。地域の方にHPや学校だよりで伝える。作文を書いて保護者に伝えるなど方法は様々です。方法を決めたら、書き方や表し方を一緒に検討してください。
これからは、言いたいことをAIが表現して修正していく時代になってくるでしょうね。チャットGPTやコパイロットを使いこなせる子どもを育てたいですね。
また、3段落に分けて、「物語の説明」「物語に対する自分の考え」「平和に対しての自分の考え」など、ある程度の段落指定をすると書き易いです。
伝えられた人からの感想があるとより意欲的になると思われます。それを子供たちに還元してあげてくださいね。
深読み編
楠木アヤはどうしてだれも迎えに来なかったか
敢えて書かれていませんが、どうして楠アヤさんは迎えに来ていないのでしょう。
それは、家族・親戚の知り合いが迎えに来れない状態だったか、迎えに来なかったか、気づかなかったか、気づいたけれども来なかったなど考えられます。
その中で一番有力なのは、家族や親せきが原爆や戦争によって亡くなったと考えることが妥当でしょう。
この教材をきっかけに見つかるといいですね。
綾のお父さん
綾のお父さんは何をしているのでしょうか。物語に出てくるのは、母と綾と兄の3人です。
週末だから、4人で一緒に行く計画を立てるかと思いきや、おじいさんが病気でお母さんがそちらに行き、兄妹で行くようになってしまいました。
土日に父親は仕事や接待に行っていると考えるのが妥当ですが、深読みしたからといって、良い読みになる可能性は低いです。
むしろ、10人に一人はいる母子家庭への配慮を考えるとするのはやめておいた方が良いです。
どうして広島に行けば、アヤを見つけられるような気がしたか
不思議だなあと思うだけでは、人は行動できません。100人いても99人は行動に移さないでしょう。
しかし、綾は広島に行きます。このきっかけは、夢の暗示から考えられます。
「アヤ」という名前が、ふいにうかんで見えた。はっとして手を伸ばしたが、とどく寸前で目が覚めた。
この文から、「アヤ」という文字があと少し届くというとことで消えるのです。
元々不思議に思っていたものに、夢の暗示が出ており、家族との会話でより勢いを増したというところでしょう。
物語文において、登場人物の行動は理解できない行動ではないことが多いです。そこが人間や物語文の面白いところでもあるのですけれどね。
どうしておじいさんは具合が悪くなった?
読みの深い子どもはここにも視点を入れてくるかも知れません。もしかしたらおじいさんも原爆に関する人だったかも知れないと。そのときは、その子から読みを広げましょう。
どうしてそう思ったのですか。
なんか、よくわからないけれど行ってはいけないと伝えたかった気がする。
もしかして、綾のお母さんが傷ついてしまう何かがあったのかもしれない。
なるほどね。おじいさんの体調がわるくなったのは、わざとなんだ。
いやそうではなくて…
このように切り返していけば、子どもの自然な読みの深まりを助けることができます。
発問を使わずに読みをこのように深めることも可能です。都市伝説などが流行ったこともあってか、裏を読もうとする子が多くなっているのは事実です。
実際、わたしはこのように切り返して読みを深めていくのが好きでした。焦点化した発問で機械的に交流するのは不自然ですよね。発問を否定しているわけではないのですが、補助的なものをメインとして扱いたいのは、わがままでしょうか。
様々な切り口に対応できるように、いろんな視点からこの教材を解釈してくださいね。
まとめ
・作者は、被爆2世の朽木祥さん。
・文学的教材に加え、平和学習教材。
・実物や写真等の資料を見せながら綾の心情を考えさせたい。
・綾の心情の変化は文章から捉えられやすい。
・最後に自身の考えを書くことが大事。
作者の思いを想像させながら、自身の考えをしっかり語らせたいですね。それでは。
補足資料
朽木祥さん Twitterアカウント
朽木祥さんが作中、綾が出会うおばあさんは佐伯敏子さんがモデルと話してあります。是非知っておきましょう。