「風切るつばさ」を授業したいのですが、これは少し内容が薄い気がします。いじめられて傷ついたところを仲間が助けて終わりという話は、6年生には少し易しい構成だと思い、少し難しく感じてしまっています。どうやって指導したらよいでしょうか。
多くの6年生や先生方はそう思うでしょうね。しかし、このわかりやすい展開の中にも深い表現が隠されていますので、そこを見つけられるようにすると素晴らしい教材になりますね。解説します。
今回は、木村裕一作『風切るつばさ』の指導方法です。関係図を使い、山場で変わったことを語れるように読み深められると良いですね。解説します。
教材研究編
作者木村裕一さんについて
教材を知るに当たって、作者を知ることから始めましょう。
木村裕一さんとは、どのような方でしょうか。「絵本ナビ」には次のように書かれています。
1948年東京生まれ。多摩美大卒。
白鴎短大講師。
テレビ幼児番組の制作、絵本、童話の創作、戯曲、コミックの原作など広く活躍している。
『あらしのよるに』で講談社出版文化賞絵本賞。
産経児童出版文化賞JR賞受賞。
(「絵本ナビ」より)
映画になった「あらしのよるに」の作者です。
「あらしのよるに」はどのような話でしょうか。
読んでいったらわかりますが、7部作の連続作品です。
作風から、木村裕一さんは、「友情」というテーマに特徴がある絵本作家と考えられます。
あらゆる感情を凌駕して、仲間を助けるという行動をする登場人物が多いです。
「風切るつばさ」のカララがクルルと一緒に草原に残るシーンも、クルルがカララを助けるシーンもその「友情」が根底にあります。
ほかにも、「いないいないばあ」「ひとりでうんちできるかな」などの赤ちゃん絵本も有名です。
「こう書きたい」という思いより、「子どもたちの中にこういう絵本があったらいいのにな」という思いで書かれてある作品が多い印象を受けます。
「風切るつばさ」の登場人物
登場人物は、クルル、カララ、群れのアネハヅルという大きく分けて3つに分けられます。
物語では、人のような感情を持っているものは全て登場人物です。登場鳥物などは言いません。
ところで、アネハヅルとはどのような鳥でしょうか。
アネハヅル
現在確認されている鳥類の中では特に高々度、5000から8000メートルもの高さを飛ぶ。ヒマラヤ山脈も越える渡りをする。
平地から山地の平坦な草原地域に生息する。天敵はイヌワシ。
体長は90cmとツル科の中では、小柄。
「アネハヅル 」(2021年4月30日 (日) 21:19)『ウィキペディア日本語版』。
1mのものさしより少し小柄な体で、富士山の2倍以上の高さの山を越えていくというようにイメージさせたいです。富士山が無ければ3階建ての高さが10mなので、その800倍…、といっても想像が難しいですね。
登場人物の性格
登場人物はどのような人柄でしょうか。中学年以降は人物像をとらえておかなければなりませんので、しっかり叙述をもとにとらえさせたいです。
人物像 | 性格 | |
クルル(中心人物) | (あのとき、はばたいたのはおれだけじゃない。) (カララにえさを与えたことと本当に関係があるのか) 体の弱いカララにときどきえさをやっている 言い返さない | 言い出せない プライドが高い 親切 プライドが高い? |
カララ | 体が弱い クルルにえさをもらっている (クルルに厳しい言葉をあびせているとき)何も言わない 南の空からまいおりてくる一羽の姿 何も言わずにクルルのとなりに降り立ち、何も言わなかった。 「いっしょに行ってくれるかい。」(唯一の言葉) | クルルを守らない 迷いがあった? クルル想い ※様々な解釈がある |
その他のアネハヅル | 「キツネに気づかれたのは、そのせいだよ。」 「おれはああいうクルルが気になっていた」 みな、口々にクルルにきびしい言葉をぶつけてくる。 クルルを仲間殺しの犯人のように かれに背を向け、口をきくものさえだれもいない クルルを誰一人わかろうとしない ツルの群れが南に向かってとんでいく | 薄情 |
上の表からわかるように、クルルはカララにえさを与えるという親切な一面を持っています。
また、「羽ばたいたのは俺だけじゃない」と不満をもって思っているのに伝えきれない一面ももっています。
どうして、言い出せないのでしょうか。独特の美学をもっていると考えられます。体の弱いカララにえさをやっているが、それは無条件な愛としてではなく、何か責任感のようなものが働いてしているように感じます。
自分が犯人扱いをされたときに、群れのアネハヅルに言い返さなかったのもその美学からでしょう。クルルの中で「言い返すのはカッコ悪い」という美学が働いたようです。言い返してみっともない格好をとるならば、死んだ方がましという気難しさがあるようです。
このクルルは少しくせがありますが、慮ったばかりに自分が傷つくという弱いところがあり人間らしさがあります。人間だからこそ、疑われたら怒り、人間だからこそ、ふてくされます。感情に素直ですが、それを言い出せないところが人間味をとらえています。
妙に人間臭いクルルを、私は嫌いにはなれそうにありません。改めて整理すると、その他のアネハヅルはひどいですね。誰かを吊り上げて袋叩きにするのは、現代社会の風刺かも知れません。
これを整理するだけでも、作者の主題「友情」を読みとる子が出てくるかもしれません。クルルがカララから受けた友情。それさえあえば、立ち上がれることに気づかせてくれる作品です。
あらすじ
幼いアネハヅルがキツネに襲われた。
クルルはその原因とみなされた。そのとき言い返せなかった自分を責めた。
クルルは空を飛べなくなった。
山を越せず厳しい寒さに死を覚悟したクルルにの側に、カララが寄り添った。
突然キツネがカララを襲ってきたが、クルルがカララを助けるために体当たりした。
クルルは空をとんだ。
話の内容は難しくありません。心が傷ついて飛べなくなったクルルが、カララの存在によって、また飛べるようになります。
むしろ、高学年の児童にとっては物足りなさを感じさせてしまうかもしれません。
単元の導入の持っていき方によっては、退屈感を感じるか、わくわく感を感じるかが変わってきそうです。
「簡単そうな話に見えるよね。でも、すごく奥が深いんだよ。」というようなゆさぶりのあるスタートが大事です。
時の設定
場面を細かく分けるとしたら、以下のように分けられます。
登場人物は大きく変わらない上に、場はモンゴルの草原からとくに変わらないので、クルルの心情が動くのは「時の変化」から考えると考えやすいです。
- 夕暮れ時
- 無言の夜
- 自問自答をしているとき
- ある朝
- 白い雪がちらほらまい始めたとき
- 数日たったとき
- きつねが現れたとき
- クルルがはばたいたとき
しかし、これを1時間ずつしてしまうと、長い時間を学習時間に要してしまいます。
そこで、2時間で場面ごとのクルルの心情をまとめていき、重要なところを後ほど話し合うという流れにすると良いですね。
また、東京書籍の教科書には次のように載っています。
・クルルが、仲間殺しの犯人のようにあつかわれたとき
・クルルが飛べなくなったとき
・カララが、何も言わずにクルルのとなりにおりたったとき
これは、カララに対する見方の変化を読むための「とき」の分け方です。
最後の「空を再び飛べるようになったとき」が無いのは、事後でやろうとしている「飛べなくなった理由」と「再び飛べるようになった理由」を友達と話し合う活動が設定されているからです。
子どもたちがすっきりする流れで単元を構成できると良いですね。
このように、クルルの心情で場面を分けるか、クルルのカララへの味方で場面を分けるかでかなり学習の流し方が変わります。
まず、子ども達に何を考えさせたいか、何を気づかせたいかで単元を組まれると良いと思われます。
主題
この物語の主題は何でしょうか。この物語では、人の心の強さと弱さを同時に見ることができます。
人の心の強さ
問題があったときにみんなで改善しようする姿勢がみられる。
不自由な人がいても、手を差し伸べられる。
困っている仲間を見つけたら、身を投げてでも助ける。
言葉が無くても、通じ合えるところがある。
人の心の弱さ
いじめられている仲間を真正面から救えない。
何かが起こった時に、原因や責任を他人にして、自分は悪くないと思うような傾向。
複数人で人の悪口をして自分を楽にしようとする思考。
追い詰められているときは、本当の味方さえも攻撃してしまう。
個人的には、人の弱いところと強いところどちらともあることに気づかせたいです。
しかし、あくまでも、心情の変化を読み取る学習でありますので、まずは、基礎に基づいてクルルの心情の変化を考えさせていきます。
人権学習が進んでいる学校でしたら、このアネハヅルの群れも、カララもクルルも問題があることに気が付くかもしれませんね。差別があったら、怒りをもって対抗する。そんな姿が見られたら素敵ですが、なかなか出せないところの方が多いでしょうね。
なお、平成29年度告示の学習指導要領「読むこと」には、「主題」という言葉が使われていません。主題という言葉のわずらわしさから、たくさんの誤解を招き、授業者が混乱していたからだと考えられます。
「主題」を指導される場合は、「作者が作品から伝えたいこと」か、「読者が学んだこと」か、そんな不毛な話し合いが繰り広げられていましたが、結局「読者が学んだこと」が大事になってくるので、受け取る側の方で考えるとよいでしょう。
あくまでも、「人物像や物語などの全体像を具体的に想像したり、表現の効果を考えたりすること」が学習指導要領に書かれている活動内容です。はみ出し過ぎるときつくなるので、必要ない場合は省きましょう。
つばさが象徴するもの
この物語で、着眼点として挙げなければならないものの中に、「つばさ」があります。
つばさは以下のところで出てきます。
- 題名「風切るつばさ」
- 風の音を跳ぶ自分のつばさの音すら、みっともない雑音に聞こえる。
- 「…みんなとうまくできない自分がくやしい。こんな自分がいやだ。自分の顔、自分のあし、自分のつばさ、みんないやだ。」
- 風切るつばさの音が、ここちよいリズムで体いっぱいにひびきわたった。
- つばさを大きく羽ばたかせ、どこまでもどこまでも……。
上記の通り5回出てきます。
お気づきの通り、クルルの心情、もしくはクルルそのものを象徴しています。
物語の構成要路の一つでもある、「象徴」です。『海のいのち』『一つの花』と同様に、登場人物に大きく関係があります。
つばさという言葉を整理するだけでも、物語の読みは深くなります。犯人あつかいされているときは、つばさの音は雑音でしたが、飛べるようになってからは、ここちよいリズムになっています。
犯人あつかいを受けたのはつばさの羽ばたく音。
羽ばたいたからうまく群れとの関係ができなくなった。(クルルの視点で)
つばさの音がいやになった。
音を立てられなくなった。
飛べなくなった…
このように整理されるとスッキリしますね。
難しいのは、これを学習中のどこで扱うかです。最初にふれておくか、途中でふれるか、最後にふれるかのタイミングです。
少なくとも単元中には入れて、クルルの心情を象徴するものとして、出てくるという読み方は学ばせたいですね。
『海の命』が控えているのであれば、最後でも良いかも知れませんね。
おしつぶされそうな最後のプライドを保つゆいいつの方法
冬を前にして、飛べなくなったツルは、死ぬしかない。
でも、クルルには、そんなこと、どうでもよくなっていた。
えさを食べず、ただじっとうずくまっていることだけが、おしつぶされそうな最後のプライドを保つ、ゆいいつの方法に思えた。
大変難しい表現ですよね。死んでしまうことより大事な「おしつぶされそうな」「最後の」「プライド」を「保つ」…。
だれからだれの何をおしつぶそうとしているでしょうか。まず押しつぶされているのは、クルルのプライドです。おしつぶすという言葉やプライドの意味からわからないとわかりません。
「おしつぶす」という言葉は、つぶすとはちがって、おしながらつぶします。ボールの上に全体重を乗せてギューッとつぶす感覚でいくと良いでしょう。
「プライド」は、辞書で調べると、「誇り。自尊心。自負心。自分を誇りに思うこと。」と出てきます。
さらに子どもに伝わるようにかみ砕いて言うと、自分は正しく生きていると自信をもつことという意味です。
つまり、「おしつぶされそうなプライドを保つ」というのは、自分が正しく生きていると思っているものを、ギューッとつぶされないようにしているということになります。
「最後の」とは何でしょう。飛べなくて死ぬしかないわけですから、「死ぬ前に最後の」という意味はわかります。
何に押しつぶされているのでしょうか。以下の3つが考えられます。
- アネハヅルから羽の音を理由にいじめをうけたこと
- 飛べなくなったこと
- 死ぬことへの不安
子どもに伝わるかわかりませんが、死ぬときに、「死にたくないよ!」と見苦しく泣き叫ぶよりか、静かに死んでいく方がクルルが自分に誇りをもって死ねるということでしょう。
少しずつ解けていったのは
「少しずつ解けていった」のは、クルルのプライドという壁。
この教材の最も重要な表現の一つです。子供達に考えさせずには、いられません。
まず、比喩で表されているのは何でしょうか。
「溶ける」と「解ける」は、違う表現なので、混同しないようにしたいですね。「溶ける」は、個体が液体になること。「解ける」は、縄が緩むこと。
少しずつ解けていったというのは、どういう意味でしょうか。 と子ども達に問うと、
イライラが収まってきたという心の状態をあらわしている。
クルルに対していらいらしている気持ち。
と答えるでしょう。
しかし、これらは、クルルの気持ちを想像したもので、本文とは少し離れます。
本文には、少しずつ解けていったとありますので、少しずつ硬いものが緩くなっていくいくような感覚が適切です。
それでは、何が解けていったのでしょう。
ここでは、自信のプライド。もしくは、カララへの隔たりでしょう。
自分が自分にしていた縛りのようなものが緩んできた。また、カララへの壁が無くなっていった。そのことで、次のカララを助ける行動にうつったのでしょう。
「いっしょに行ってくれるかい? 」
カララはなぜ、何も言わずにクルルのそばに数日間いたのでしょうか。
また、飛べるようになってから、なぜ「いっしょに行ってくれるかい?」と言ったのでしょうか。
それは、友達だからできる察しと、申し訳なさが混じった複雑な感情だったからだと思われます。
友達だからできる察し
カララは最後の行動から言ってもクルルを大切な友達だと思っていることは間違いありません。
そして、命をかけてでもそばにいたい気持ちがあります。
しかし、犯人扱いされていた時は、何もせず「カララでさえ」背を向け、話しかけないのです。
カララは、そのことを申し訳なく思い、後ほど飛び立とうとするときも、「一緒に行こう!」ではなく、「いっしょにきてくれるかい?」という言葉になりました。
これは、カララからみて、クルルが情けをかけて欲しくないという様子に見えたのかも知れません。
そこまでの経験で、物思いにふけっているときのクルルは話しかけてはいけないという暗黙の了解がカララの中にあったのかもしれないですね。
そのように解釈すれば、後ほどのカララがイライラしているタイミングで話しかけないという選択肢をとったのも納得できます。
それだけ長い年月を一緒に過ごしているからこそ、できる行動です。
もはや、家族ですね。
申し訳なさ
「いっしょに行ってくれるかい?」
カララの最初で最後のこの言葉ですが、実は、すごく重みがあります。
「さあ、いっしょに行こう!」と言ったら、たとえ飛べたとしても首を横にふるつもりだった。「おれなんかいらないだろう。」とも言うつもりだった。
それが…
カララがふり向いて、
「いっしょにいってくれるかい?」
と言った。
「もちろんさ。」
クルルも少し照れて笑ってみせた。
全く逆のことをしていますね。断るどころか了承しています。
了承どころか、「もちろん」という他の選択肢が出ようもない100%の返事をしています。
これには、カララに心を許し、自分の存在価値を見つめ直すことができたということの表れです。
カララも「一緒に行こう!」ではなく、少し申し訳なさそうに言っているのが印象的です。
どうして、「一緒に行こう!」ではなく、「一緒に行ってくれるかい」と申し訳なさそうに言っているのか発問したいところです。
・犯人あつかいをされているのを助けられなかった。
・いつも自分に優しいクルルを守れなかった。
・数日間一緒にいたのに「ごめん」の言葉が言えなかった。
・弱くてごめん…。
そんなカララの弱々しくも、クルルを想う心の声が届いてきそうです。
カララの存在で、自分を取り戻せたクルルはこえからはカララのために生きようと思うでしょう。
物語のその後
「ごんぎつね」と同じ、若干山場で終わっている印象です。
その後は、2羽で暮らした。集団の中で2羽で暮らしたなどと想像できるでしょう。
また、飛べなくなるかな?などと聞いてみたいですね。
そしたらきっと、子ども達は「いいえ」と答えるでしょう。
- これまでと同じように、クルルは群れから何かを言われ続けると思うけれど、前より傷つかない。
- 何かを言われても、カララが守ってくれる。
- 群れは他のアネハヅルをいじめると思うが、クルルとカララはそれに立ち向かって全力で守る気がする。
指導目標
学習指導要領の目標
学習指導要領国語科解説編の高学年「読むこと」のイとエには、次のように書かれています。
イ 登場人物の相互関係や心情などについて、叙述を基に考えること
エ 人物像や物語などの全体像を具体的に想像したり、表現の効果を考えたりすること
クルルとカララの関係で、クルルの心情が変わっていくことに気づかせます。
また、中心人物はクルルなので、クルルの視点を中心に初発の感想から山場での変化を丁寧にとらえさせます。
「新しい国語6年」東京書籍教科書の流れ
この「風切るつばさ」の学習は、やなせたかし作「サボテンの花」の後で、立松和平作「海の命」の前になる重要な位置です。
「海の命」のもりをつくのを止めたところで、関係図を使いたいので、関係図を用いた指導になれさせたいと考えます。
その後の今西祐行作「ひろしまのうた」はこれらとは異なる展開の作品なので、実質的に文学的文章に触れられるのは、「海の命」が最後になります。
だから、この作品では、「海の命」の準備運動だと思って、本気で取り掛からないといけないですね。
関係図を使うことで見えてくるものがあります。今回で言うとカララとその他のアネハヅルとの関係です。
子ども達は、関係図からクルルとその周りのものとのつながりを見出します。
その中で、カララとその他のアネハヅルとの関係がどうなっているか気づく子がいます。そうなることで、背景を少し読み深めることができるというメリットもあります。
授業の提案
初発の感想
初発の感想では、あまり大きく外れない感想が多くなります。
クルルを助けた形になっているカララに称賛の声が集まります。
感想を交流してさせただけでは、読みのめあては生まれにくいです。
そこで、登場人物のしたことで疑問に思ったことという欄を設けましょう。
単に疑問に思ったことでしたら、キツネはツルをどのように食べるんだろうなど、どの方向に向かうかわかりません。
登場人物のしたことで疑問に思ったこと
- 周りのツルはどうして、クルルをいじめるのか。
- どうしてクルルは飛べなくなったのかな。
- クルルはどうして飛べたのか。
- なんでカララはクルルの側で何も言わなかったんだろう。
この2つが出ればおもしろいですね。他のが出てもそれを全員で解決していきましょう。
したことが良いか、言動・心内語が良いかは子供の実態に合わせてください。
読みのめあて
疑問が出たら、読みのめあては立てやすいです。
どうしてクルルは飛べなくなって、また飛べるようになったのか。カララはどうして何も言わなかったのか読んで考えよう。
このときに、最後に感想文を書いて、お互い読み合うことを予告しておきましょう。
このとき、どうがんばっても教師主導になってしまう実態の方もいらっしゃると思います。いいのではないですか。小学六年生相手に理想の交流なんてできる方は通常の学校では難しいのが一般的です。
語句の意味調べ
教科書に書き込む形が好きですが、しっかり書かせたい方はこちらをお使いください。
なお、時代の変化に合わせて画像検索もいれています。検索したらちぇっくできるようにしておくのも良いですね。
一の場面の関係図
初めの場面の関係図は、以下のようにしてみたらいかがでしょうか。
クルルを自分側に置き、カララと群れのアネハヅルとしておくことで、クルルを中心として考えられます。
また、そのときの心情等も書き込むことができそうです。
矢印には、クルルの対象に対する想いを。根拠となる本文をその矢印の近くに書きましょう。
二の場面の関係図
二の場面は、群れからクルルに対して、また、クルル自身に対しての見方を書かせましょう。
最終的に、群れからいじめられて飛べなくなったのではなく、自分自身に対していやになったから飛べなくなったと読めるようにしたいですね。
粗筋とクルルの心情のまとめ
今回は、下のようにクルルのカララに対する心情の変化を図で表せるようにしてみました。
大まかな場面ごとに、クルルの見方が変わったことを捉えさせると良いですね。
再び飛べた時
物語の山場であるクルルが飛ぶ前後の心情を丁寧に読み取りたいときは、上の表は軽く流し、下の表を使うと良いでしょう。
まとめの前の白枠には、発問によって深めた自身の考えを書きます。
- 言うタイミングは他にたくさんあったのに、どうしてカララはあのときに「いっしょにとんでくれるかい」と言ったのか。
- キツネの登場がなかったら2人はどうなっていたと思うか。
- 群れにもどったらどのようになるか。
はじめて読んだときにどれだけ疑問がかけるかわかりませんが、子どもの反応で一番良さそうなものを発問してあげてくださいね。
発問を考えるだけでわくわくしてしまいます。職業病でしょうか。
また、叙述から読みとるくせができていない実態でしたら、叙述から読まず、心情だけが出てきてしまうおそれがあります。
「ありがとうと思っていたと思います。」「いや思っていないと思います。」などという言葉が飛び交う混沌とした交流です。
「本文の○○というところから、△△と思いました。」この癖づけができていない実態であれば、下の図をお使い下さい。
子ども達も使い慣れてきたと思うので、こちらの方が書き易いと考えられます。
象徴性を学ぶ
前述の通り、つばさの象徴性を学ぶ時間が必要です。
「つばさ」が何回出てきたか、「つばさ」は何を表しているか。タイトルの「風切るつばさ」から何を感じるかを問うてみてください。
きっと子どもたちは、「自分に自信をもって強く生きよう」「自分の良さを大切にしよう」などと感じるはずです。
現代人に、足りない何かに気づかせてくれるかもしれませんね。
生きている実感が欲しいと多くの子は願い、傷つき、迷いながら生きていきます。焦らなくても、比べなくても、今あるもので幸せに生きられることに気づいてほしいという願いを感じてほしいですね。
補足ですが、光村図書の教科書でも、象徴性については宮沢賢治の「やまなし」で学びます。
言葉
言語事項をしっかり学ばせたいですね。20分くらいで終わるので、確実にさせたいです。
いくら読解学習をしたところで、言語事項が積みあがっていないと学力テストでも点数がとれませんし、語彙力が増えていきません。
また、「~しかない」「~さえ」という言葉の使い方をとらえさせることで、他に選択肢の無く、見方がいないクルルの状況がさらに読み深められます。
授業時間とは別の20分程度で、まとめてはいかがでしょうか。
漢字
また、漢字の学習などもただ小テストや文を書かせるだけでなく、漢字に触れるだけでも良い学習になります。
漢字をすでに学んでいる子達は、実力テストなどと言って、させてみると良いです。
まだ習っていない子達には、教科書を見て書くようにすると良いでしょう。
単元で学んだことを書く
いつものように感想文を書かせていきます。
今回は、友達に向けて、書くと良いですね。
少し硬い文章になってしまいましたが、感覚さえつかんでもらえたら良いです。
初めから自分ですらすらかける子ども。
構成がわかればいくらでもかける子ども。
全く書けない子ども。
学級の実態は様々だと考えられますが、その子たちに応じた支援が必要かと思われます。
間違っても、やり直しを何十回もして、子ども達が一生懸命に書いたものを踏み荒らす行為は避けたいですね。
原稿用紙は下のものを使ってください。
原稿用紙の使い方の資料は過去の記事をご参照ください。
編集後記
この物語を読んだときに、一番に思い出したのは、芥川龍之介の「杜子春」です。
「杜子春」は、何度も富を築き、欲望を叶えることを繰り返し、最終的に死にたいと地獄に行こうとするが、家族の存在の大切さに気付き、生きる道を選ぶ話です。
人生で数回、6年生に読み聞かせをしましたが、家族を助けたいと思うシーンで涙が出てしまうので、それ以降読むのはやめました。
失って、傷ついて、人生のどん底まで行き着いた先に、幸せな人生が待っているとこの学習では学べるかもしれません。
学べないかもしれません。
「一人で生きたい。」と願う人はたくさんいると思います。
でも、友達の存在や家族の存在のおかげで苦しい時期を乗り越えられるときがあると気づいてくれる人が少しでもいることを願っています。
困ったときは助け会う。そばにいる。強者にはなれなくてもカララにはなれるかもしれません。この記事が少しでも役に立ったら嬉しいです。それでは。