「海の命」の指導方法 太一が瀬の主を打たなかった理由

海の命 国語

「海の命」の指導方法

 

先生
 

こんにちは。6年生の「海の命」を教えるのですが、小学校最後の物語文だと聞いて、不安でいっぱいです。修学旅行も、学芸発表会もあり、単元を考える余裕がありません。どのようなことから始めたらよいでしょうか。

 

こんにちは。「海の命」ですね。どの物語教材も一緒ですが、まずは、作者を知ること・作品を知ることから始めましょう。子どもたちとの最後の文学的文章の学習、楽しんでくださいね。解説します。

 

  

今回は立松和平作の「海の命」の指導方法。小学校の本格的な文学的文章の指導では最後になることが多いです。

 

  

この作品は、作者立松和平が残した傑作で、文学教材として見事な教材です。 

 

 

この物語は、「一人の海」という1つの小説から生まれました。

 

 

「小説」→「絵本」→「教材」となる中で、登場人物の言葉や絵の多くが削り取られて、削られたところは読者に解釈を委ねるという形で、教材になりました。  

 

 

「文学を読むとか、そんな実態ではない。」

 

「いろいろ仕事が多すぎて、教材研究の余裕がない。」

 

そんな声が聞こえてくる気持ちもわかります。多くの先生方は、夏休み以降必死であらゆることに対して戦われていることだと推察します。

  

無理をせず、実態に合わせて、読み深めたことが実感できるような授業にしたいですね。少しでもお役に立てるように解説していきます。

 

 

このサイトの方針で役に立つかわからないのですが、いつでも気楽に読んでくださいね。

 

 

なお、本投稿では、タイトル「海の命」と「海のいのち」が混在しています。

 

 

光村図書は「海の命」、東京書籍は「海のいのち」でタイトルが違うからであり、私はどちらかを推奨する立場ではありませんので、混在させていますのでご了承ください。

 

教材研究編

 

作者 立松和平 について

 

 

作者である立松和平とは、どのような方でしょうか。略歴をみていきましょう。

 

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立松和平本人 NHKアーカイブスより

 

1947年栃木県宇都宮市生まれ。

早稲田大学 (政治経済学部) 卒業

学生運動を経験し、日本各地や沖縄、韓国、東南アジアなどを流浪

土木作業員、魚市場の荷物運びや看護助手など様々な職業を勤めた

宇都宮市役所で勤めるが退職

退職後、作家活動に専念

2010年多臓器不全のために亡くなる

  

 

かなり苦労された経歴をお持ちです。作品には、仏教関係の本や、自然に関する本を出しており、子どもたちが親しめるような本は多くありません

 

生命や自然に関わる仕事に就いていたことから、作品作りの背景に自然があったと思われます。

 

その中でも「海の命」は、自然の恐ろしさや命の尊さ、家族の温かさや、出てくる人物の人柄などから、何度読んでも考えさせられる作品となっています。

 

太一が父の瀬に船を進めるあたりの描写は、太一の言葉では表せない喜びを表す美しい表現です。場面の描写から、心情を読みとらせたいですね。

 

「海の命」の原作

 

 

「海のいのち」は解釈が難しい物語の一つです。でも、実は絵本の他に原作があり、その中に解釈の答えとなるヒントが隠されています。

 

立松和平が書いた「海鳴星」という本の一部の「一人の海」という話です。

 

その本の中には、生き生きとした太一の姿が描写されており、また、「海の命」では、存在感が薄い母親も前面に出てきます。教材研究に読んでみられるのはいかがでしょうか。

 

文学的文章の指導について

 

先生
 

6年生にもなると、物語の読ませ方がなにやらよくわからないのです。そもそもなんで、物語文を読んでいるのでしたっけ?

 

 

6年生になると、実態は様々ですからね。その子たちに応じて、単元を組まれると良いでしょう。自分達で読みができる実態なのであれば、子どもの立てためあてで進めてよいと思いますし、厳しい実態であれば、教科書の問いや教師からの問を基にすすめていいとも思います。物語を読むこと、文章を読むことを通して、自分の見方・考え方を広げられるということころをしっかり意識することが大切です。

 

文学的文章を学ぶ目的は、見方・考え方を広げることです。言葉をただ読んで流すのではありません。指導要領の解説によると、以下のように載っています。

 

「言葉による見方・考え方を働かせる」とは、話や文章を、言葉の様々な側面から考えて、理解・表現したり、その理解・表現について、改めて言葉に着目して吟味したりして、言葉への自覚を高めること

平成28年学習指導要領解説

 

「話や文章を言葉の様々な側面から考え」るということですので、様々な側面からものごとを見てみることが大事だということが言えます。

  

様々な側面からものごとを見るとは、ある角度からみたら良く見えますが、違う角度から見たら、良く見えない。そういったことです。

 

サイコロと同じ感覚です。あるところから見たら「1」また、あるところから見たら「2」と、同じサイコロというものなのに見え方が異なります。

 

過去の「瀬の主」と今の「瀬の主」。2回目潜った時の「瀬の主」と3回目潜ったときの「瀬の主」。母から見た「海」と太一が見た「海」。同じものを違うものとして見ることで、様々な視点を受け入れて生きていく力を育てられます。

 

 

 見方や考え方を広げるにあたって、物語文では、次のような項目に着眼するとよいでしょう。

 

 

平成28年度告示の学習指導要領では、低学年は、「場面の様子」。中学年は、「気持ちの変化」など、学年によって、とらえさせたいものが明示されています。

 

 

もちろん、低学年・中学年から全員がしっかり積みあがっていること前提ですが、なかなかそのような実態にないことは、ご想像の通りです。

 

 

高学年の教材である「海の命(いのち)」では、「登場人物の心情」や「人物同士の関係」を中心に読みとり考えさせたいですね。

 

 

 

山場で大きく変わる太一の心情は、父や与吉じいさ、母やクエや自分自身と見つめ合わないと、考えることができません。また、それを読み深めることができたら、本単元の目標は達成されているということです。

 

 

「言葉に着目して吟味」するという過程まで学習目標に入っています。わかっていると思っている言葉でも追及されると言葉につまってしまいますよね。

 

 

例えば、次のような問いです。

 

 

「海のめぐみ」とは何か。

 

「悲しみさえもを背負う」とはどういう意味か。

 

「海の命」とは何か?

 

「一人前の漁師」と「村一番の漁師」はどう違うか?

 

 

言葉から太一の見方・考え方を追究することで、より学びの広がりが見えてきそうですね。

 

言葉をかみしめ、考え方・生き方を考察するような学習になれば良いですね。具体的には次のようになると考えられます。

  

    資質・能力         内 容
知識・技能作品のあらすじをとらえることができる。
・叙述や関係図から人物の気持ちを読みとることができる。
思考力・判断力・表現力等山場への太一の心情の変化を様々な人物の関係(父、与吉じいさ、母、瀬の主)から考え、表現することができる。
学びに向かう力・人間性・叙述を基に、人物の心情を理解しようとする
太一の選んだ考え方・生き方についての考えをもち、自分の考え方・生き方に生かそうとする。

 

学習の流れ

 

学習の流れ

・立松和平について知る。

 

・「海の命」を読む。

 

・初読の交流をし、読みのめあてをつくる。

 

・物語の設定を確認する。(登場人物・粗筋・山場)

 

・太一の気持ちを追っていく。

 

・太一の生き方、作品から伝わるものについて考え、共有する。

 

 ※時間外に、語彙の学習をする。

 

 

まずは、子ども達が立松和平さんについて、軽く知っておくことをお勧めします。

 

 

「命シリーズ」があるということもあり、「命について書かれた作品だな」という推測は出てきます。

 

 

「海の命(いのち)」が教科書会社(光村図書・東京書籍)によって採用されているということを知るだけでも「そんなに人気があるんだ。」と子どもたちは思います。

 

 

光村図書の教科書では、「山のいのち」と「街のいのち」が紹介されていますが、他の命シリーズを学校司書の方にお願いして揃えておくと良いですね。

 

 

次に、作品を読みましょう。純粋な気持ちで読んでみて、どう思うのか。何を感じるのか。文学教材の学習では、その思いを大切にしてほしいです。その後、読みのめあてを整理していきます。

 

 

どうして、太一はクエをうたなかったのか。どうして瀬の主を「おとう」と言ったのか。

 

 

瀬の主をうたなかったのに村一番の漁師になれたのはどうしてか。

 

 

自然と問いは出てくるのではないかと考えられます。実態によって出ないときは、そこのところを発問で揺さぶ、読みのめあてにつなげると良いでしょう。

 

 

ポイント

実態によって良い読みのめあてが立たない場合は、教師が出してもよい。

  

 

学級の実態によっては、教師が読みのめあてを立てても良いです。私も経験がありますが、この時期の6年生は、学級に問題をかかえていないなんてことはほとんどないと思います。

 

子どもの読みが成立しなかったり、国語に対する苦手意識が強く学習に積極的でなかったり…。そのような場合はぜひ教師の方から、「どうして○○だったんだろうね。」と揺さぶったうえで、めあてを立てさせるも有りです。

 

過敏な子達を刺激しないで、子どもたちに合わせた授業づくりをしていきましょう。

 

授業を始める前に

 

最終的に山場でどう話し合わせたいかの具体的なイメージをもちましょう。

 

授業を始める前に教師が考えたいことは、山場で子ども達にどんなことを話し合わせたいかです。子ども達は、それぞれの生活経験で考えを話します。

 

 

太一を止めたのは、父の存在か、与吉じいさの言葉か、瀬の主の存在かもしれません。さらに母の存在かも知れませんし、自分自身の判断かもしれないですし、命そのものが止めたのかもしれません。

 

 

最終的な太一の心の中は、読者自身の解釈にゆだねられるので、単純に父・与吉じいさ・母・瀬の主との足し算とも言えないですし、文章が全てということでもありません。

 

 

多くの場合は、単元のゴールのイメージとして、「太一の生き方に対する感想文を読み合おう」「山場で太一が何を考えていたか感想文を書こう」に近いものとなることが多いでしょう。

 

 

これは私の個人的な願望なのですが、最後の読みなので、何か形に残したいという思いはあります。将来の自己の生き方を考えさせる大事な学習につながりますので。

 

授業の実践

 

作者 立松和平とはどのような人か

 

 

作者である立松和平とは、どんな人物なのか、簡単に子どもたちに紹介しましょう。

 

 

ソース画像を表示
立松和平 NHKアーカイブス より

 

 

立松和平とは

1947年栃木県宇都宮市生まれ。

 

日本各地や沖縄、韓国、東南アジアなどを流浪する。

 

土木工事の仕事、魚市場の仕事、看護助手、市役所の職員など様々な職業を勤める。

 

働きながら作品を書いていた。

 

退職後、作家活動に専念。

 

2010年病気のため、亡くなる。(63歳)

 

 

 

立松和平は、生命や自然に関わる仕事に就いていたことから、作品作りの背景に厳しい自然があったと思われます。

 

さらに、学生運動・社会運動が盛んな時期でしたから、人間に対する不信感も少しはあるのではと私は感じます。 

 

このような背景から、自然の恐ろしさや美しさ、命の尊さ。家族の温かさや、出てくる人物性格などから、何度読んでも美しく、興味がひかれる深い文となっています。

 

 

いろいろあった人生だったようですが、文学作者はそのような様々な経歴を持っている方が多いですよね。

 

 

子ども達には、細かく調べさせる必要は無いですが、簡単に「命シリーズ」や仏教関連の本をたくさん出していた人程度でとどめていてよいでしょう。

 

  

  

次の文は、和平作品の中で特に『海鳴星』の第三章「父の海」の最後の描写です。

 

徳治オジの言葉が終るのを待って、良一は海に向かって耳を澄ませた。寄せては返す波の音が聞こえた。

 

波は一個ずつの石を、一粒ずつの砂を、わけへだてることなく洗い続けている。

 

波の音に、石が転がってはぶつかりあう音がまじる。

 

荒れていた海は、しだいにおさまっていく様子だ。

 

波の音が音楽のように聞こえてきた。

 

心の底が澄んでくるような音楽だった。

 

この音を聴くためにここまでやってきたのだと、良一は思う。

『海鳴星』の第三章「父の海」p162

 

美しい波の音と、良一の情景が見事に重なり合っていると感じられます。この文の中にずっといたい気持ちにかられます。

 

 

見事な表現力と、自然を愛する立松和平だからこそ、『海の命(いのち)』という壮大な作品が生まれたのだと思われます。

 

 

先生方の立松和平への愛を子供たちに伝えられると良いですね。

 

初読からめあてをつくる

 

登場人物の言動で気になることを交流できると◎

 

子供のノート例

 

まずは、読んで感想や疑問に思ったことを書かせます。

 

 

 

そして、次の時間に読みのめあてを立てさせます。「登場人物の言ったことやしたこごで疑問に思ったところを書きましょう。」という項目を作っておくと、読みのめあてを作るのが苦手な先生にとっては良いでしょう。

 

 

もし、初読の時点で、全ての感想を拾って学習展開をしたいという方はそちらでも構わないと思います。学習に向かう姿勢をつくるうえで子ども達の探究的な課題は大事です。

 

 

卒業文集や修学旅行前の班決めトラブル等で多く時間が割かれてしまうことを想定して、できれば短めに単元をまとめたいものですよね。

 

 

でも、しっかり読み込むことも大切です。実態に合わせて単元を構成されてください。

 

 

6年にもなると、これまでの指導の差によって大きく実態差が出ますので、その年の実態に応じて単元構成を組むと良いですね。読みが育っていない子に難しい読みは無理です。

 

 

読みのめあてをたてる

 

優秀な日本の文学的文章教材は、読んだ後に必ずひっかかりがある作品が数多くあります。

 

 

「海のいのち」もそのうちの一つです。

 

 

太一は、もりを打つのを止めた。止めたのには、何らかのの影響があるのはわかっている。でもなぜ止めたのかはわからない。

 

 

そこを話合わせていけば自然と次のような良い読みのめあて(共通のゴール)が立てられます。

 

 

読みのめあての例

 ・どうして太一は、漁師を目指したのか読みとろう。

 ・どうして太一は「おとうここにおられたおですか」と思ったのか読みとろう。

 ・クエをとっていないのに、どうして太一は村一番の漁師になれたのか読みとろう。

 ・どうして、太一はクエをうたなかったのか読みとろう。

 ・太一の生き方を自分は賛成か、反対か読みとろう。

 ・作品に出てくる色には、どのような意味があるか読みとろう。

 

 

読みのめあては、1つの場合でも良いですし、2つや3つあっても良いです。例えば次のようにしてみます。

 

 

  1. どうして太一は、漁師になろうと思ったのか。
  2. なんで与吉じいさの弟子になったのか。
  3. 「千匹に一匹でいいんだ。」とはどのような意味か。
  4. どうして太一は、瀬の主をもりでつかなかったのか。
  5. 作品で出てくる色にはどのような意味があるか。

 

 

このように、読みのめあてをまとめていくと、それがそのまま学習計画にもなります。

 

 

ただ、読みのめあてにあっていない活動が出てくると、最初から子供たちはやらされている退屈感が出てくる学習になります。そこには気を付けたいですね。 

 

 

例えば、場面ごとに読む場合、「母の悲しみさえも背負う」という重要な描写があります。

 

 

「この場面はとばしていい?」などと尋ねると、子供たちは、「何か意味があるのかな…。」と思い、「いやだめです。」と実態が良ければ言うでしょう。

 

 

このようにして、誘導していくのもありでしょう。

 

 

最後に感想やリーフレットなどを書くときもありますが、それらは、口頭で予告だけしておけばよいです。

 

 

単元の最後に、お家の方に向けて、学習で学んで思ったことを書きますよ。

 

 

読みのめあてをつくるときのポイントは2つです。

 

 

まずは、全員に発表させること。または、全員の感想や疑問に思ったことをプリントにし、読み合うことです。

 

 

こうすることで、全員が学習に対する参加意識が芽生えます。

 

 

この時期大切な他人任せな子もそうすれば、参加することでしょう。

 

 

2つ目は、時間を2時間に分けることです。分けることで予めどのような感想や疑問が出ておくとわかっておくと、整理がしやすいです。

 

 

今の時代では、それは全てICT機器で簡単に読み合えると思いますので、整理をするのを先生方がされてはいかがでしょうか。

 

あらすじの確認

あらすじは、6つに区切ってもよいですが、8つに区切った方が、初めの設定の読みと山場の読みを整理しやくなります。

 

粗筋の捉えの板書例

 

 

粗筋は、上の板書のように、「人物」と「したこと」だけでよいでしょう。

 

 

「太一は~。」や「~する太一。」としてもよいのですが、8つの場面で区切った時、どうしても、2の場面でおかしなことになってしまいます。なぜなら、8つの場面で区切ったときに、太一の言動が無いからです。

 

  

曖昧にすることで、太一が2の場面で何も言動を起こしていないことに気づかせるというのが良いでしょう。すると、どうして太一は漁師になろうとしたのか読み深めるポイントが見えてきます。

 

 

幼い頃の太一の葛藤が2の場面に詰まっていることがわかりますね。自然な気持ちでいられず、無理矢理にでも、漁師になろうとしている心情が伺えます。

 

子どもたちのノートは純粋に、8つの場面に区切った表を入れたものにしてはいかがでしょう。小見出しは有っても無くても良いかもしれません。

 

 

「大造じいさんとがん」の時などで小見出しを鍛えられたのであれば、されてもよい程度です。

  

 

某有名な国語の先生は、場面を10に分けます。

 

 

厳密にいえば場面は10になりますが、学習を45分で終わらせるには、8くらいでいいかもしれませんね。

 

おとうとの関わり

 

学習ノート

 

 

子どもたちのノートは、上のようなものを使ってみるのはいかがでしょう。場面ごとに読む上で一番オーソドックスな形式です。 

 

 

本文のところに、教科書に掲載されている本文を書かせ、太一の気持ちがわかるところに、下の枠に太一の気持ちを書くといったものです。

 

  

場合によっては、本文を載せることも良いです。ただ、場面読みに縛られてしまうことがありますので、子どもの状況に合わせてください。

 

 

まとめとの間の枠には、発問時の自身の考えを書かせるようにします。

 

 

読みが浅いと考えられるところを補助発問をし、発問によってより深められるといいでしょう。

 

 

後に、詳しく載せていきます。

 

  

 

授業の流れについて

   

めあて

太一が子どもの頃の心情を読みとろう。

 

 

始まりの場面 板書例

 

 

 

太一は、どうして漁師を目指したのでしょうか。 これがこの物語のスタート地点です。子どもたちの中で、「自分だったら怖くて漁なんてしない。」と思う子がいます。

 

 

でも、海に出ます。 

 

 

子どもの頃の 太一は、「おとうと一緒に海に出るんだ。」という強い意志を持っています。そこから尊敬憧れといったプラスの感情に働いています。

 

 

父は、それを喜ぶ様子もなく、大量を撮り続けるわけでもなく、「海のめぐみだからなあ。」と言います。

 

 

それでは、「海のめぐみ」とは何でしょうか。「めぐみ」は辞書によると次のように書かれています。

 

 

  • 情けをうける。
  • ものをもらう。

 

 

といった言葉が出てきます。

 

 

つまり、情けをかけてもらったものと言い換えることができます

 

 

それでは、だれからでしょうか。「海」や「自然」です。海から生かしてもらっている感覚で良いでしょう。

 

 

自分でとっているという感覚ではなく、自然から与えてもらっているという感覚です。

 

 

「また、お父と一緒に海にでる。」という夢を瀬の主に奪われてしまったことも忘れてはいけません。

 

これを下のような関係図に整理していきます。

 

なぜ関係図が良いかというと、中心人物が影響を与えられたことがが視覚的にわかりやすくなるからです。

 

 

「人物がどう思っているか。」

  

「どんな影響を与えたか。」

 

  

「それはどの文からわかるか。」

 

 

 厳密には、指定しなくても子どもたちは書けます。

 

 

実態にもよりますが、書ききれない子がいる場合、良い例を見せるとよいでしょう。

 

 

この関係図を書けるだけでも、国語の力がつくと思いませんか。書けたらほめてあげてくださいね。

 

 

与吉じいさと関わり(弟子入り・海に帰りましたか)

 

与吉じいさから受けた影響は大きいです。父からもらった「海のめぐみだからなあ。」という言葉は太一の頭に入ってはいますが、意味がわかっていませんでした。

 

 

太一は、なぜか与吉じいさの弟子になろうとします。なぜか。父の海で漁をしているからです。

 

 

なぜそこまでして漁師になりたいのか。これは子供たちにそのままなげかけてよいと思います。

 

 

「父の命をうばったから殺してやりたい。」「一人前になりたい。」「あこがれのお父さんのようになりたい。」様々な思いがあったことでしょう。

 

 

与吉じいさの「千匹に一匹でいいんだ。」という言葉が大きく太一の考えに影響を及ぼしているのは、子どもたちは、わかっているのですが、意味が分からないそうです。

 

 

なんで20匹とっているのに、1匹なの?

千匹に1匹大きい魚を1匹とればいいってこと?

どうして千匹に一匹なのか。図を使って解説した方が良いかもしれません。

 

 

「無駄な命をとらない。」「よくばってはいけない。」などという言葉が聞こえてきたらよいでしょうね。

 

 

 

 

母との関わり

 

授業でよくわすれがちなのは、母の存在です。母を取り扱わないのであれば、この場面はなくても良いでしょう。

 

 

というのも、なぜ母親が大事かというと、子ども達にとっては多くの場合母親の存在は大きいからです。

 

 

しかし、教科書上では、太一は母親の影響を表面上受けていないように見えます。

 

 

夫を失った母は、子の太一を亡くしたくありません。だから、母は夫の死んだ瀬にいってほしくない。それにも関わらず、太一は瀬に行きます

 

 

これは、母親が嫌いで無視をしたのではなく、母の心配する思いより父親の敵をとりたいという思いの方が上回っていたからです。根拠は「母の悲しみを背負う」の一文です。話し合った末にこの一文に気づけると良いですね。

 

 

また、原作「一人の海」では、母の存在は大きく出ます。

 

 

原作「一人の海」での、太一と母のやりとり

「おっ母は心配で心配でたまらんばい。いい若い衆になったのに、同輩とも遊ばんと、女の子にも目をくれんと、海ばっかみちょる。お前の一途さが恐ろしか。」

 

「俺の何が恐ろしいとか。俺は真面目な漁師ばい。」

 

「若い衆らしい遊びがあるでしょうが。」

 

「遊んどっても、ちいともおもしろなか。海がよかばい。海はそのへんの女よりもずっとよかばい。」

 

「そげんいいうちょっと、おっ母はなんもいえんね。お前の考えは度がすぎちょろう。」

 

 <中略>

「毎日海にいってきちんと漁をしてくるに、なぜ度が過ぎちょるか。」

 

「おっ母は、お前がお父の瀬に潜るといつ言い出すかと思うと、恐ろしゅうて夜も寝られん。お前の顔にそげん言葉が書かれちょる。」

 

太一は母と何度同じ会話を交わしたことだろうか。自分を想ってくれる母の気持ちが嬉しくないはずがないのだが、太一としてもここまでつちかってきた信念を曲げる気はなかった。

 

太一は、嵐をも跳ね返す屈強な若者になっていたのだ。その逞しい背中に、太一は母の悲しみさえも背負おうとしていたのである。

 

立松和平「一人の海」より

 

ここに、はっきり文に書かれています。

  

 

太一は母の気持ちは嬉しいけれど、父の背中を追う信念は曲げないという気持ちです。母からの心配はしっかり受け止めているけれど、信念の方が強いとも言い換えられます。

 

 

つまり、子ども達が良く言う、「母の言葉を無視した。」「大事に思っていない。」というのは、大きく的から外れています。母の言葉を心の底から聞かない人なんていないですよね。

 

 

黒古一夫さんの著書『立松和平の文学』でも言われているように、立松和平の文学作品では、母の存在は大きいです。『母の乳房』『乳の海』『卵洗い』など母に関する作品は多いです。

 

 

 

黒古さんの著書は面白いのでおすすめです。高いですが…。

それでは、なぜここが教科書に載っていないかというと、本文の行間から読みとれるからです。前述の通り、「母の悲しみを背負う」から読みとれます。

 

 

「母の悲しみに背を向けて」ではなく、「母の悲しみにも目をくれず」でもなく、「母の悲しみを背負って」ですので、しっかり受け止めたという表現にになっています。

 

 

これは、母が太一を大事に思っていることを感謝しその想いを尊重しているという考えの現れたものです。この場面を扱う中でこの一文を子ども達と解釈することは、大きいです。

 

 

クエとの対峙

追い求めている中で、クエに遭遇します。

 

 

しかし、クエを太一は打てません。穏やかな目。黒い真珠のような瞳…。

 

 

クエの様子を眺めるばかりで、打ちたいという気持ちを置き去りにしているのです。

 

 

 そこで初めて葛藤します。「どうして打てない?」

 

 

「打ってはいけない?」「打ちにくい?」

 

 

様々な心情がそこで生まれて来て、「泣きそうになりながら」心が葛藤するわけです。

 

 

この泣きそうになりながら葛藤した中身をこれまでの関係図を使って話し合わせたいですね。

 

太一の夢

少し戻りますが、「夢」という表現が突然出てきますが、この「夢」は、前後の描写で明らかになります。まず、前の描写です。

 

 

二十キロぐらいのクエを見かけた。だが、太一は興味をもてなかった。

 

 

次に後の描写です。

 

 

百五十キロはゆうにこえているだろう。興奮していながら、太一は冷静だった

 

 

中くらいのクエでは興味をもてなかった太一が興奮するほど大きいクエを見つけることが夢だったといえます。

 

 

クエを観察する太一

 

ここで太一は、クエを一発でしとめるのではなく、観察します。

 

 

1回目

・太一は、海藻のゆれる穴のおくに、青い宝石の目を見た

 

 

1回目もぐるときは、もりをついてすぐに水面に戻ります。

 

 

2回目

・クエは青い目、ひとみは黒いしんじゅ、刃物のような歯、灰色のくちびるはふくらんでいて大きい、えらが動くたび、水が動くのがわかる、百五十キロはゆうにこえている

 

・太一は、興奮していながら冷静

・太一の追い求めていたまぼろしの魚で、父を破った瀬の主かもしれない

・鼻づらにもりを突き出すがクエは動かない

・永遠にここにいられる気がした

  

2回目は、よく観察します。百五十キロは大人2、3人分くらいですから、そのくらいを想像させるとよいですね。

 

 

ここでも、クエをつきません。それどころか、居心地が良いよいように「永遠にここにいれれる気がした」と表現しています。

 

 

ここは子供たちに問うと面白かもしれません。欲しいものを手に入れたときや、無くしていたものが見つかった時などが似ている感覚でしょう。

 

私も探していた本が古本屋などにあると永遠にそこにいられるような感覚になります。少しちがうかな?

 

 

3回目

・瀬の主は全く動こうともせずに太一を見ていた

・おだやかな目

・大魚は自分に殺されたがっていると太一が思った

・太一はこんな感情が初めて

・この魚をとらなければ、本当の一人前の漁師になれないのだと太一は泣きそうになった

太一はふっとほほえみ、口から銀のあぶくを出した

・もりの刃先を足の方にどけ、もう一度えがおを作った

・「おとうここにおられたのですか。またあいに来ますから。」と太一は思った。

・太一は、大魚をこの海の命と思った。

 

泣きそうになったところの葛藤の部分と、おとうと見立てたところをよく考えさせていですね。一人前の漁師になりたいという本人の願望や復讐心と、うてない自分との葛藤が生じています。

 

 

ここは、ゆさぶりたいところです。

 

また、最終的に太一はクエをうたなかったのですが、その方法が実に面白いですよね。そのクエをおとうと見立ててうてなくしたのです。

 

 

子ども達は、おとなしいところがお父と似ているからうたなかったといいますが、そうではありません。あえて、海の命(=連続性)を守るために、父と見立てて打ちませんでした。

 

 

この流れが子ども達全員に理解されるかはわかりませんが、クエと父を重ねてうたなくしたということはとらえさせたいところではあります。

 

 

なぜうたなかったのかを話し合う

 まず、本文を読んで心情をさぐっていくと、太一はすぐにうたなくなったのではなく、なんとなくうちにくかった様子がうかがえます。

 

おだやかな目だった。

 

殺してくれとと言っているようにも思えた。

  

 

こんな感情は初めてだ。

 

という本文からわかるように、太一は敵対心が全く見られない瀬の主の様子に戸惑っている様子がわかります。

まずここで、「うちたい」という思いから、「うてない」に変わったことがわかります。

 

 

その後、「泣きそうになる」→「銀のあぶくを出す」→「ふっとほほえむ」という太一の行動が見られます。

 

 

ここで初めて「うてない」から「うたない」に変わったことがわかります。それでは、そのときに何が起こったのでしょうか。

 

どうしてもりを打たなかったのか

 

 

毎時間、5分ずつくらいでまとめてきた関係を最後に整理させたものをためていきます。

 

 

そうすると太一がいろんな人の影響を受けて考え方・生き方が形成されていったことがわかります。

 

  

父からは、「海のめぐみ」という言葉があるように、海の生物を獲っているいるという感覚ではなく、海から命をいただいているという感覚。

 

 

同時に、父の敵をとり、瀬の主を越え、村一番の漁師になるという目標を抱いた。

 

 

与吉じいさからは、「千びきに一ぴきでいいんだ。」という無駄な命をとらないという教え。人は海に帰ると学んだ。

 

 

母へは、死んで悲しませないという責任を負った。

  

 

最終的に、「どうして瀬の主をうたなかったのか」を交流します。

 

 

子どもの実態によっては、出し合いになってしまう場合もあるのですが、お互い気づけなかったことを気づいたり、それぞれの経験をもとにした深い話し合いになります。

 

わすれられがちなのですが、母やクエの存在もあります

 

その結果、次のようになっていくと考えられます。

 

 

まとめ 例 

瀬の主を殺さなかったのは、穏やかな瀬の主の様子から打つことができず、自身の夢や目標より、父の姿や与吉じいさの教え、母を悲しませないという責任を考え、瀬の主を「お父」と見立てて、打たないことにした

 

あくまで一例ですので、工夫して変えられてくださいね。

足し算交流は

よく議論になるのが、もりをうたなかった理由が、「父と与吉じいさ、母と瀬の主の様子」全てがそろって100点になるというところです。これは、読み手と作者のを無視した残念なまとめ方だと感じます。

 

 

あくまで読み手は、自身の経験を基に登場人物の追体験をして感動をえることができます。国語科の学習はその過程を支えるのであって、濁してはいけません。

 

 

どうして、このようなまとめになるのかというと、山場の交流において、もりを打たなかった理由を、それぞれ述べる中で、与吉じいさの教えや父の姿や母の存在などが出てくると思われます。

 

 

だから、それらを全部合わせないといけないと授業する先生がまとめて、全部を書き込んでしまいます。Aも、Bも、Cも入れ込まなければならない

 

 

本当にそうでしょうか。もちろん影響を受けた事実はあるでしょうが、本人の解釈にゆだねてもよいのではないかと思われます。

 

 

また、『生命継ぎの海』で次のように述べています。

 

 

私は、小説家なので、書かれたものがすべてである。自分の作品を解説することはできないし、したくないのだ。それなのに子供たちの多くはこう聞いてくる。

 

 

「どうして太一はクエを殺さなかったのですか。父を殺したクエを追い求めて、漁師にまでなって、やっと見つけたのではありませんか。」

 

 

子供たちの疑問はもっとものであり、答えを見出すものは先生でも困難だろう。何故なら、「海の命」を書いた作者も、理詰めで考えてそうしたのではないのだから。

 

 

『生命継ぎの海』

 

この後にも、「ボールを投げ渡したのだから、後は自分で考えてくれ」という書き込みがあります。学級の中であれこれ考えて答えを出さないといけないというのは、本当のようです。

 

より深い交流をさせるには

 

初めの内は、なんとなくの印象で交流させてよいでしょう。それが段々深まっていくには、理由と根拠が必要です。

 

 

太一が打たなかったのは、母の存在があったからだと思います。今ここで父と同じようにクエと戦い、敗れてしまったら、母が悲しんでしまうと思ったからだ思います。

 

 

このような意見を言うと、「それなら、瀬にもぐる前からやめていたのでは?」と質問がきて、それに続く交流になります。

 

太一が打たなかったのは、与吉じいさの「千匹に一匹でいいんだ。千匹に一匹とれば一生海で暮らしていける」という言葉があったからだと思います。

 

クエをうとうとしたときに、これは、無駄な命をとっているんじゃないかと思ったんだと思います。

 

 

 

叙述をもとに登場人物の追体験をしているので、読みが浅い子どもにとっては、学びとなるでしょう。

 

 

 

感想文例

 

 

感想文でまとめる例があると思います。感想文では「だれに書くか」「何を書くか」「どのように書くか」が大事になってきます。

 

目的によっても変わってきますが、今回は「海のいのちを読んで、太一に生き方(考え方)はどうだったか、自身の体験と重ねながら家の人に伝わるように書こう。」と設定しました。

 

 

   ① 「海のいのち」の要約

   ② 太一の生き方(考え方)に賛成か、反対か。

   ③ 理由 (自分の体験を踏まえて)

   ④ 自分の伝えたいこと

 

 

このような段落設定をしてあげると、文を書くのが苦手な子は助かります。どうしても苦手な子に対しては、一緒に考えてあげると良いでしょう。

 

 

 

太一否定派の例
太一の考えの賛成理由

 

実態に応じて、多くしたり少なくしたりすると良いですね。ある程度苦手な子でもこのくらいは書かせたいですね。

 

 

単元構成によっては、「いのちシリーズを読んで思ったこと」や「作品から感じ取ったこと」などを段落に入れると良いですね。ただ、無指定で例が無いと、書けない子は書けないのでそこまで用意をした方が親切です。

実際に、書く文章は、自分で書けると評価がしやすいです。

 

 

そして、その評価の観点を予め与えておくと、中位層の子の文はよくなります

 

 

 

 

命シリーズを読ませるべきか

 

命シリーズを読ませるかべきか → ねらいによる

 

よくある実践指導に単元の終了後、もしくは、平行読書として、ただ単に立松和平の『いのちシリーズ』を読ませるとありますが、私はこれには疑問があります。

 

『いのちシリーズ』とは、次の作品です。

 

「街のいのち」、「山のいのち」、「田んぼのいのち」、「牧場のいのち」、「木のいのち」、「川のいのち」。

 

これに、「海のいのち」を足して、『いのちシリーズ』と呼ばれています。

 

 

『いのちシリーズ』というだけあって立松和平が書いた『○○のいのち』とありますが、実はそれ以外の作品の関係がありません。

「街のいのち」

母親が亡くなっていく話。家族が亡くなっている子どもには、つらい話。

 

 

「山のいのち」

イタチを使って、魚を捕る話。イタチを捕殺する姿が生々しく、小学生には適さない

 

 

「田んぼのいのち」

稲を育て、お米を食べることで命を得ているという話。文学教材というより、社会科や食育で使える

 

 

「牧場のいのち」

牧場の牛を育てて生計を立てている農夫の話。牧場の様子などの勉強をする際に使ってよい教材

 

 

「木のいのち」

一人の女の子の一生を木がみている話。「一人の人生を客観的に捉える」「自然を大切にする」という意味では、海のいのちにつながるものがある。

 

 

「川のいのち」

11歳の夏休みに川で遊んだ話です。川でトンボや魚、ツバメを捕まえます。教材として利用するには、他のものを選んだ方が良いでしょう。

 

 

「海のいのち」

一人の少年が、漁師になる夢を追いかける話です。立松和平の作品では、群を抜いて優秀な作品でしょう。教科書教材以外にも、絵本「海のいのち」や、原作となった小説「一人の海」があります。

 

 

「命のつながりがあるではないか。」と言われたらそうではあるとしか言いようがありません。ただ、読みの力の広がりとしては少し立ち止まって考えて頂きたいです。

 

様々な自然の命をいただいているということを主張していくのであれば、問題はないのですが、あまりにもこじつけがましいと感じるのです。

 

なぜなら、海の命で身に着けた力を違う教材でしてくださいと言われたときに同じ指導ができないからです。

 

たくさんの人物からそれぞれに影響を受け、瀬の主を打たなかったという流れが生かせません。読ませるならば、他の教材が良いかと思われます。

 

 

 

教材をより研究するなら「一人の海」

研究をよりされている方は「一人の海」を読む

 

一人の海

 

 

 

教材をさらに研究されたい方は、立松和平が書かれた、『鳴海星』の第二章「一人の海」『生命継ぎの海』を読んでください。

  

 

「一人の海」は、教科書や絵本で描かれていない登場人物の心情を読むことができます。実は、「海の命」は、「一人の海」という小説がもとになって、絵本になり、絵本から教科書になるという3段階の変更をされています。それに伴って、読み手の解釈に任せるところが増えています。

 

 

意外にも太一や太助(父)がよく話すなど、教科書だけでは語られない登場人物の素顔が見られます。

 

 

少年ジャンプの小説版を開設する時に執筆されたもので、読んでいるとワクワク感でいっぱいになる作品です。

 

個人的に『海鳴星』の三部作はつながっているように感じます。1部で生き残った方が、第二部の方で、その島に第三部で帰ってきた人は第二部のあの人というようにしてスッキリしたいのは、私だけでしょうか。

 

 

ちなみに、第一章の「海鳴星」は「満月の百年」という絵本になっています。

 

 

 

生命継ぎの海

 

 

『生命継ぎの海』では、どのような想いで書いたかをあまり言いたくないと和平さんはおっしゃっています。しかし、なぜかこの著書の中でたくさん作品への想いを述べています。

 

太一がもりで瀬の主をつかなかったのを一読者として解説しているのも面白いですが、主題について述べているのも興味深いです。

仏教に「生老病死」という言葉がありますが、人には避けられない四つの苦しみと憂いがあって、先に何が起こるかわからない、という意味です。

 

ところが、海へいけばいつでも食べ物があって、人はいつでも生きられたわけです。

それが本来の海の姿で、それを先人は「生命継ぎの海」といって大切にしたのでしょう。

 

今は大きな人工物を作り、収益を上げようとして無理にはたらきかけ、海が本来持っている力を壊そうとしていますね。

 

海と心して付き合えば、海は永遠に人を生かしてくれる、そういう生き方があるはずです。

「生命継ぎの海」

人が生命の一つの命として生きていくために、海の命を守るという和平さんの教えが込められてているのがわかります。

 

 

どちらの本も、子どもに読ませることはないのですが、教師の教材解釈を広げるという意味では、読んでおいて損はないかもしれません。

 

 

しかし、最近どこの本屋にも売っていない状態になってきています。都道府県立図書館など横断検索をしてもらって、借りて読むのがよいでしょう。

 

まとめ

 

今日は、「海の命(いのち)」の指導方法についてまとめました。まだ、未完成ですが、必要なところだけ読んでいただけると幸いです。

 

 

・海の命を書いた立松和平は人生を歩、仏教思想の影響を大きく受けている。

 

・六年生で実態が大きく異なるので、実態に合わせた単元のゴールを設定していくこと。

 

・初発の感想から読みのめあてをつくる。

 

・読み深めていく段階で、父の「海のめぐみ」、与吉じいさの「千匹に一匹」、母の心配、クエの穏やかさは捉えさせたい。

 

・瀬の主を殺さなかったのは、穏やかな瀬の主の様子から打つことができず、自身の夢や目標より、父の姿や与吉じいさの教え、母を悲しませないという責任を考え、瀬の主を「お父」と見立てて、打たないことにしたという理由にをもたせる。

 

・自身の感想を書かせるときは、「相手意識」「目的意識」「方法」を。

 

より高度な教材分析には「一人の海」と「生命継ぎ海」があった方が良いです。

 

 

どこかの図書館にあると思うので探して読まれて下さい。

 

 

個人的に父の瀬に初めてもぐった幸せな描写が好きで「もう復讐とかどうでもいいや」となっているところなども読ませたいのですが、長くなるので割愛します。また更新していきます。それではまた。

 

参考図書

参考図書です。二瓶先生の『「海のいのち」全時間・全板書』、立石泰之先生の『「海の命」の授業』の解説は参考になります。

 

また、『生命継ぎの海』は立松和平の自伝です。国語を研究されている方なら持たれていても損はないです。

 

また、海の命の原作「一人の海」が載っている『海鳴星』は極めて手に入りません。司書の先生にお願いし、他市町村の図書館から借りましょう。それでは。

 

  

  

  

 

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