学級の子ども達になんていうか話すことがありません。何を話したらよいでしょうか。
そうがですね。みんなで目指しているところに近づけているかの話をすればよいと思いますが、そこまで行き着いていないなら、病院の2階を目指そうと話せばよいのではと思います。解説します。
今回は、学級経営の話。学級の言葉が注意だらけであったり、ごねていたり、不平不満があふれてきたときにすればよい話です。
学級づくりの何かの足しになればと思います。解説します。
どんな学級にしたいか
どんな学級にしたいかと問われると子どもたちは楽しい学級、けんかがなく仲が良い学級などと答えます。
おおよそそのような形で学級目標はつくられていくと思われるのですが、その中で自分は「病院の2階みたいな学級を目指そう。」と言っていました。
当然、子どもたちは「?」と首をかしげます。
病院の1階
ある病院の1階をみていると、
「どのくらい待たせるんだ!早くして!」
「なんであの人の方が早く!私の方が先じゃない!」
「検査の数が3つもある。先生たちは、検査料がほしいがためにたくさん検査しているんでしょ。」
「私はあの先生じゃないと嫌だ。」
「なんでこんなに診療費が高いんですか。なんでこれだけで5000円なんですか。ぼったくりですか。」
などと身勝手なことを言ったり心の中で思ったりしています。
医者や看護師は患者の命を守ることを最優先に考えているのにも関わらずです。
一方、病院の2階はどうでしょう。
病院の2階
病院の2階以上は一般的には入院されている方がいます。
看護師の方々は、温かく接してくれて、
「今日は気持ちのよい晴れですね」
と言います。
患者さんとお見舞いに来た方は、
「お大事にね。」
「そっちも体に気を付けてね。気を付けて帰ってね。」
と言います。
お互いが相手を気遣い、大切にしています。
同じ病院、同じ人なのにです。なぜこのように違うのでしょうか。
どうしてこのようにちがうのか
それは、命の重みを感じているからです。
命の重たさを感じることができた人は、それ以外のことは気にならなくなります。
外の国の経済状況だとか、だれが優秀であるとか、有名人が何をしたかなどです。
しかしそれらは、命の重たさを感じた人の前では、無力です。
自分と共に、自分のために足を運んでくれた方を大事に思います。
本当の人間の社会はそうあるべきです。
しかし、病院の1階にあるように、人と比べ、自分しか見えなくなっているなんてことがあるのではないでしょうか。
本来あるべき人間の姿に、気づかせてくれるよい話だと私は感じました。
人とのつながりが軽薄なこの時代だからこそ、相手のことを考えられるような言葉かけをしていきたいですね。
この話を通して
この話を聞いたのは、30代くらいの若いお坊さんからでした。
本当に人間の本質を突いた鋭い話でした。
この話を一人でも多くの方にしていただけるようにとここに載せました。
明日にでも子どもたちに伝えてくださいね。
みんなで2階を目指しましょう。そしたら世の中は幸せであふれるはずです。それでは。